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ある地方教会への手紙

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ペンテコステ。教会が誕生しました。

華々しいデビューを飾ったかに見えましたが、それは聖霊がどんなお方で、どんな力があるかが示されたとき。教会がその聖霊の力を身につけるのは聖霊の実を結ぶとき。

教会は極少数派でした。

そして異教・異文化の中で悪戦苦闘しながら地道に広がっていきました。その悪戦苦闘の中に聖霊の実を結ぶ成長があります。その悪戦苦闘こそ学ぶべきです。なぜなら日本の教会を取り巻く状況も似ているからです。

その悪戦苦闘のオンパレードがコリント人への第一の手紙です。

ということで、5月22日の礼拝はコリント人への第一の手紙第1章1節〜3節から、「ある地方教会への手紙」と題してメッセージでした。

差出人を知る

この手紙はエペソで記されたと言われます。差出人は使徒パウロと兄弟ソステネ。兄弟ソステネは元コリントのユダヤ人会堂管理者で、クリスチャンになってエペソにいるパウロを訪れていた、と考えられます。コリント教会の問題を相談に行ったのかな?使徒パウロはタルソ生まれのユダヤ人で元ユダヤ教徒のエリート。イエス・キリストとその弟子たちをユダヤ教の邪道だと思って撲滅運動まっしぐら。でもその撲滅運動のさなか復活のキリストに出会って、これぞ本道!とキリストを伝える人になってしまいました。このパウロがこの手紙の主な差出人。

町を知る

コリントはアジアの西の端、ヨーロッパの玄関、南北は陸路、東西は海路の交通の要衝、ハブ空港ならぬハブ都市でした。最新の商品や情報や思想があふれ、人種や文化や宗教のるつぼでした。町を見下ろす丘には壮麗なギリシャ神殿があって神殿売春も行われていました。当時、放蕩怠惰な生活や不道徳を揶揄するのに「コリント化する」という言葉が使われたほどでした。ネオンこそありませんでしたが、キンキンキラキラの華やかさの裏には相当ドロドロしたものがありました。

受取人を知る

受取人は神の教会であり、聖徒として召されたコリント教会の人々です。キンキラドロドロの中にも神の教会があった。聖徒として召された人々があった。いえ受取人はコリント教会だけではありません。「わたしたちの主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての人々」にも宛てられた手紙。つまり、古今東西に渡るすべての教会に宛てられた手紙。どんな時代の、どんな所の、どんな人をも救い出されるのは主イエス(御名に救いの力がある)です。そして聖徒として召されるのは主キリスト(「油注がれた者」という肩書き。聖別する働きがある)です。もちろんパウロのような人々がその時代、その地域に奉仕しますが、古今東西に渡って働いておられるのは主なのです。

二千年前のアジアの西の端コリント教会へ宛てられた手紙。二千年後のアジアの東の端日本の教会まで届けられました。今回は使徒や聖徒といった肩書きを知るにとどまりました。手紙を読む内に肩書きからはわからない姿、違う姿も見えてきます。どんな問題や悪戦苦闘があるのか?じっくり見ていきましょう。コリント化するのではなく、聖化の喜びを分かち合うために。

5月29日の礼拝は、マタイによる福音書22章34節〜40節から、「自分を愛するように①」と題してメッセージです。


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