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祝福はあなたから

祝福とは神様からの命や支配や愛が神のかたちである人を通して地に広がることだ、と創世記第1章で学びました。そして神様が祝福されるだけではなく、人が祝福のために踏み出すとき積極的な祝福がある、と前回学びました。そして踏み出したのがアブラムです。ということで、3月12日(日)の礼拝は、創世記第12章1節〜9節から、「祝福はあなたから」という題でメッセージでした。

まず神様との関係から

神様はまず、アブラムに「国を出て、親族に別れ、父の家を離れ」るように言われます。「縁を切れ」と言うのではなく関係の仕切り直しです。アブラムの様々な関係の最初にあるのは神様なのです。神様はアブラムを「大いなる国民とし、…あなたの名を大きくしよう」と言われます。「名を大きくする」とは「名を高める」と訳せる言葉。かつてバベルの塔を建てた人々も人の名を高く上げて一つ所に止まろうとしました。しかしそれとこれとは全く違う。バベルの塔を建てた人たちは神様に向かず聞かず従わず、アブラムは神様に向いて聞いて従った。これ以上大きくて高いものはない神様に人がしっかりつながるなら自ずと大きく高くなるのです。そして神様はアブラムに「あなたは祝福の基となる」と言われます。どんな祝福も、まず神様につながった一人の人から流れるのです。

そして人との関係へ

まず神様との関係が大切ですが人との関係も大切です。なぜなら神様を現すのは神のかたちである人と人との関係だから。一人よりも十人、百人、千人といった関係の方がより大きく豊かな神様を表現できる。神様はアブラムに「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう」と言われます。アブラムが祝福する者を神様が祝福し、アブラムがのろう者を神様がのろうのと違うの?と思えます。「あなたは祝福の基」とは「あなたが祝福」とも訳せます。つまり神様が差し出されたアブラムという祝福を人が受け入れるならその人の祝福となり、拒否するなら祝福とは逆の呪いの状態を招く、ということなのです。祝福を受け入れるとは、アブラムと同じように神様に向いて聞いて従うことです。神様と人が共に進むとき積極的な祝福が現れます。同じように祝福の基である人と新たな一人の人が共に進むとき祝福は拡がるのです。

礼拝を営むことを通して

では祝福の具体的な営みとは何か?礼拝です。子孫が増えることも祝福ですが、この時点でアブラムに子はありませんでした。アブラムはカナンの「シケムの所、モレのテレビンの木のもと」まで来ました。ここはカナン宗教の聖地だったとも言われます。ご神木のある社の森と言ったところ。しかしアブラムは別に祭壇を築き神様を礼拝しました。アブラムがカナンの人々と無縁だったり仲が悪かったわけではありません。ただ神様を礼拝した。神様との関係を人の前に見える形で表現するなら礼拝なのです(礼拝スタイルはここでは問いません)。礼拝こそ祝福の泉。礼拝を行う土地や建物ではなく一人の人の礼拝が祝福の泉。「祝福と言っても何をしていいかわからない」なら礼拝を営む。まず神様との交わりを大切にする。それは人との関係を犠牲にするのではなく大切にして祝福を及ぼすため。礼拝はどんな悪条件でも悲惨な所でもできます。どんな悪条件や悲惨の中にも祝福の泉はわきあがる。祝福は一人の礼拝から。祝福はあなたから、なのです。

「迫害する者を祝福しなさい。祝福して、のろってはならない」「悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受けつぐため」。

3月19日(日)の礼拝は、創世記第12章10節〜20節から、「信仰の息切れ」と題してメッセージです。


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