天授ヶ岡教会沿革
■礼拝風景


■定期集会
礼拝 | 毎週日曜日 | 午前10:30-11:45 |
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教会学校 | 毎週日曜日 | 午前9:45-10:15 |
祈祷会 | 毎週日曜日 | 午後1:00-2:00 |
■教会案内
※PDFが開きます。
■教会の働き人
ドロシー・エレン・ホーア師略歴

英国の貴族であり父親は中国の宣教師・6人兄弟姉妹の四番目・父親が香港の監督をしており彼女は香港で姉達と共に教育を受けていた。
父親は中国の沖を神学生と船で旅をしているとき突然の台風で船は座礁して学生と共に天に召される。父の死後、英国のロンドンに戻る、そこで父の従兄弟(いとこ)であり日本伝道隊を設立したバックストン先生の影響を受ける。
そして日本を愛する人々特にバックストン先生・ウィルクス先生などに近づき日本を愛する愛が彼女の心に芽生えサンライズバンドを通して日本のために奉仕していた。
- 明治25年(1892年)
- 香港で生まれる
- 明治42年(1909年)
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17歳のとき侮改めて信仰に入る
ある日祈りの中で神様の御声を聞く「我汝を遠くへ使わす」 とそれと同時に死んだ父上が喜んで現れたのを見た。 すべてを捨てて日本人を愛し「命を捨てるつもりで」日本に - 大正8年(1919年)
- 27歳のときに神戸に着いた バックストン先生の紹介で大阪の天下茶屋の古屋英語塾に入る (古屋先生は平安女学院・同志社で教えておられた)
- 大正9年(1920年)
- 福田八重を日本語の先生として住居を共にする ホーア師は2年間勉強しなければならないところ1年で終える。
- 大正11年(1922年)
- 東京雑司ヶ谷で集会を始める
-
大正12年(1923年)
9月1日 -
東京大震災
焼け出された人たちのために婦人会を毎日開き御奉仕 -
大正13年(1924年)
9月13日 - 福田八重と共に英国ロンドンヘ
- 昭和元年(1926年)
- 福田八重と共に東京に戻り小山・戸越・中延・東調布で伝道所を開く
- 昭和8年(1933年)
- 大阪八尾・柏原・藤井寺・国分・恩智・加美・大平寺大井・駒ヶ谷・今町・で伝道所を開く
- 昭和18年(1943年)
- 戦争のため強制送還
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昭和21年(1946年)
12月15日 -
日本に帰ってくる「わたしはただ一人の子供を救うためにどこまでも行きます」
22日京都駅に久子・静子と共に迎える。そして宮の上の福田八重の自宅ヘ -
昭和25年(1950年)
1月16日 - 召天 天授ヶ岡にて 享年57歳
福田八重師略歴

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明治33年(1900年)
2月15日 - 生誕
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明治45年(1912年)
4月 - 同志社女学校に入学
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大正6年(1917年)
3月 - 卒業(大正3年金森先生から受洗)
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大正7年(1918年)
4月 - 平安女学院入学
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大正9年(1920年)
3月 -
卒業
4月より大阪天下茶屋のホーア先生のところへ。古屋塾長からホーア先生に日本語を教えてくれと頼まれる。 父母はそれを許さないと思ったが不思議なように許してくれた。
どうして許してくれたのかを考えているときにマタイ21・マルコ11 ・ルカ19を通してイエス様が主の用と云って つれて行かれたロバの子としてイエス様に乗っていただくことは幸いです。 - 大正11年(1922年)
- 東京雑司ヶ谷で集会を始める。
-
大正12年(1923年)
9月1日 -
東京大震災
焼け出された人々のため婦人会の人たちと昼夜兼行で奉仕をする。 -
大正13年(1924年)
9月 - ホーア先生と一緒に渡英(イスラエル・アフリカ・インドなどに立ち寄る)
- 大正15年(1926年)
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帰国
その後東京 小山・戸越・中延・東調布で集会10年間で多くの人が救われた、献身者も多数であった (向後昇太郎先生・橋徳兄・山口周平兄・市川姉・桝夫妻・馬宮兄・石川兄・満丸夫妻・中沢夫妻等) - 昭和8年(1933年)
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大阪にも10年間16ヶ所の集会場(柏原・八尾・太平寺・加美・藤井寺・恩智・古市・駒ヶ谷・今町・道明寺・
古町・樫下・大井・国分・向日町等)主な献身者は石幸夫妻・森姉・鶴橋安兄・佐藤兄・森兄姉など神様と
イエス様と聖霊のお働きにより不思議な御業が行われ多くの病人が癒され救われる人が沢山ありました。
ホーア先生が用いられ昔イエスさまの時代になされたような業が働きが次々になされた。 -
昭和18年(1943年)
夏 - ホーア先生が最後の交換船で英国に帰られる
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昭和21年(1946年)
12月末 - 英国の大使と共に帰ってこられる。宮ノ上の小さな家で集会すぐに一杯になり父の住んでいる天授ヶ岡に6畳の間2間と3畳の間のバラック小屋のような家を建てた。
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昭和22年(1947年)
5月 - ホーア先生と全国巡回伝道に出る。8月に戻り教会建設の計画その間多くの人が救われ献身者が与えられる(梶原兄・藤本兄・篠崎姉・濱田姉・丹羽敏子姉等)
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昭和23年(1948年)
9月 -
教会建設が始まる。
12月に未完成のままクリスマス礼拝毎日のように献身者と家庭集会・伝道所で集会を行う。 -
昭和25年(1950年)
1月16日 -
ホーア先生召される。
その後丹羽姉・濱田姉は伝道隊のウイリアム師と共に伝道隊で働くことになる。 梶原兄・藤本兄は神学校に入学。篠崎姉は教会に残ることになる、一緒にいた多くの人は伝道隊の先生たち の手でそれぞれのところに返されたがどうしても行くところのない者が子供7人、大人3人が残った。
私は残された者の面倒を見るのを止めるのだったら伝道隊に来ても良いとのことだったが、 私はホーア先生の意思を継いで行きたいと考え子どもたちと共に残った。 - 昭和26年(1951年)
- 天授ヶ岡教会牧師となる
- 昭和29年(1954年)
- 天授ヶ岡幼稚園園長となる
- 昭和57年(1982年)
- 天授ヶ岡幼稚園名誉園長となる
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平成4年(1992年)
2月16日 - 召天
梶原正己師略歴

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昭和2年(1927年)
11月3日 - 東京に生まれる 幼い頃、ホーア師と福田八重師が東京で開いた伝道会に出入りする
- 昭和19年(1944年)
- 17歳、東京長野福音協同教会で受洗、高校卒業後旧国鉄に勤務
- 昭和23年(1948年)
- 21歳、ホーア師の導きで京都へ異動になり、天授ヶ岡教会での信仰生活が始まる
- 昭和26年(1951年)
- 24歳、インマヌエル聖宣神学院に入学
- 昭和29年(1954年)
- 27歳、神学院を卒業し結婚 静岡、東京、青森などの開拓伝道に派遣される 一時、牧師の働きを退き、千葉県にてサラリーマンとなる
- 昭和37年(1962年)
- 交通事故に遭ったことを期に牧師としての働きに復帰 ちょうど福田八重師から連絡があり、天授ヶ岡教会の牧師となる
- 平成21年(2009年)
- 牧師としての働きを終える
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平成27年(2015年)
3月11日 - 召天