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悪魔の誘惑

2024年4月7日(日)

今日から新年度に入りました。2024年度も、天授ヶ岡教会が主にあって一つとなって進んでまいりたいと思います。イエス様もバプテスマのヨハネから洗礼を受け、聖霊が臨み、「あなたはわたしの愛する子」という天からの声をもってメシヤとしての働きがいよいよスタートするかと思いきや…その聖霊が導いたところは荒野であり、悪魔の誘惑でした。4月7日の礼拝は、ルカの福音書4.1-13から「悪魔の誘惑」と題してメッセージです。

誘惑を受けたイエス様

 悪魔はここで3つの誘惑をしています。空腹をおぼえたときには石をパンに変えるという誘惑、悪魔にひれ伏してこの世界の権力や栄光を手に入れるという誘惑、聖書の言葉どおりに本当に神が助けるかを試みる誘惑です。これらはすべてイエス様が神の子であるからこその誘惑なのですが、それにしても悪魔は人の弱さや心の思いをよく知っていると思わされます。私たちも困ったときには、神様に頼るよりも自分で解決しようとし、御言葉を信じきれないことがあるのではないでしょうか。イエス様はまずこのような誘惑を受けたのです。

誘惑に勝つイエス様

これらの誘惑に、イエス様は御言葉を引用して答えます。それはイスラエルの歴史を通して、人はパンではなくパンを与えてくださる神様によって生きていること、富や豊かさはそれ自体の与え主である神様こそ礼拝すべきであること、御言葉は試すものではなく信頼すべきものであるということでした。

イエス様はこれらの誘惑を霊的な部分で受けた、とも考えられます。メシヤとしての働きを始めるときに、どのようなメシヤとして生きるのか。イエス様は聞こえてきた誘惑の声を退け、父なる神様に信頼し従う道、十字架の道をはっきりと選び取られました。

誘惑に勝ったイエス様を仰ぐ私たち

神様と引き離そうとして、悪魔は今も私たちを誘惑します。自分の思い通りにしたい誘惑があり、従いたくない試みがあるかもしれません。それはイエス様の声でしょうか、誘惑の声でしょうか。自分の力を自分のために使わず、あらゆるものが手に入らなくても神様のみにひれ伏し続け、御言葉を信頼し続けたイエス様のように、私たちも信仰の道を選び取ることができますように。

4月14日(日)の礼拝は、ルカの福音書4.14-30から「実現した恵みのことば」と題してメッセージです。


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