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神様はあなたとともにいる

2022年6月26日(日)

イスラエルの民をエジプトから導き出したモーセですが、初めから雄々しく神様の語りかけに応えていったわけではありません。神様からご計画を伝えられた時のモーセの答えは「私はいったい何者なのでしょう」でした。時に私たちも同じ思いをすることがあるかもしれません。神様はこうした私たちの思いにどう向き合ってくださるのでしょうか。6月26日(日)の礼拝は出エジプト記3.1-12から「神様はあなたとともにいる」と題してメッセージです。

見て、聞いて、知って動き出す神様

 ミディアンの地に移り住んだモーセは、羊飼いとして過ごしていました。あるとき、羊を連れてホレブという場所に行くと、そこで燃えているけど燃え尽きない柴を目撃します。何だろうと思って近づいたモーセに神様は語り掛け、ご自分が「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」であることを告げます。先祖を導かれた神様を前にモーセは顔を隠しますが、神様はモーセに「わたしの民の苦しみを見、叫びを聞き、痛みを知っている。わたしはくだってきた。あなたを遣わすからイスラエルの子らをエジプトから導き出せ」と言われました。私たちを見、聞き、知り、くだり、導き出してくださるお方、それが神様なのです。

断るモーセ

 神様の言葉にモーセの返事はNOでした。かつて殺人者として追われたエジプトに戻ることも、自分を受け入れなかったイスラエルのために働くことも、今や年をとり外国で羊飼いの仕事をしていることも考えると無理はないと思います。私たちも自分の弱さや限界を思うと、自信がなくなり、神様にもう無理ですと言いたくなることがあります。その言葉、どうか撤回してください、と。

モーセに向き合う神様

 しかし神様の返事は「わたしが、あなたとともにいる。」でした。モーセの言葉には直接答えません。神様がともにいるということは、神様が助けるということです。神様が必要を満たし、道をひらき、神様が実現させてくださるのです。信仰の歩みというのは、この神様を知っていくことの連続なのです。そして神様は弱音をはくモーセを捨てることも力で押さえつけることもしません。神様が私たちを選び、愛されている以上、神様はとことん私たちの弱さにも付き合ってくださるお方です。

7月3日(日)の礼拝は、ピリピ人への手紙2.1-11から「自分のことだけでなく、ほかの人のことも」と題してメッセージです。

神様は見捨てておられない

2022年6月19日(日)

今日は父の日です。私たちが今、礼拝している神様が父なる神様であることをイエス様は教えてくださいました。「父」なる神様には、神様がすべてのものの第一の起源であること、また神様は善で、神の子どもたちを愛をもって配慮するお方だと言う意味が込められています。今日の箇所にも神様の子どもたちを愛する神様のお姿が記されています。6月19日(日)の礼拝は出エジプト記2.11―25から「神様は見捨てておられない」と題してメッセージです。

ミディアンに住むことになったモーセ

 22節にはモーセがミディアンの地で寄留者として過ごすようになったことが記されています。なぜモーセはミディアンに住むことになったのでしょうか。

モーセが大人になったとき、一人のエジプト人がへブル人を打っているのを目撃します。モーセは正義感をもってへブル人を助けるためエジプト人を殺してしまいました。次の日、今度は二人のへブル人が争っていました。仲裁に入りますが「だれがお前をさばき人として任命したのか。あのエジプト人を殺したように、私も殺すのか」と言われてしまいます。へブル人を助けようとしたことが、同じへブル人に理解されない。またエジプトからはエジプト人を殺した危険人物としてマークされてしまう。そこでモーセはエジプトの目が届かないミディアンの地へ逃げていくのです。モーセはそこで結婚し家庭を築きます。

へブル人の祈りを聞かれる神様

 何年も経って、へブル人を苦しめたファラオが死にました。しかし次のファラオも相変わらずへブル人を苦しめます。彼らはその辛さと苦しみのあまり泣き叫びますが、この祈りの声が神様に届きます。

神様とはどういうお方でしょうか。それは私たちの祈りを聞き、私たちの状況を見、私たちのことを心に留められる神様です。神様はへブル人を救うため行動を起こされます。このとき神様が選んだのがモーセでした。

 かつてモーセは自分の手で(自分の方法で)へブル人を助けようとしましたが、それは理解されずうまくいきませんでした。神様はそんなモーセを用いて、ご自分の手で(神様の方法で)へブル人を救おうとされます。神様に従う、神様に聞くということは、自分のやり方を通さないということでもあります。自分で頑張ってどうにかしようとするよりも、神様の言葉に聞く者でありましょう。

6月25日(日)の礼拝は、出エジプト記3.1-12から「神様はあなたとともにいる」と題してメッセージです。

モーセ誕生の背景

2022年6月12日(日)

私たちが信じている神様。この世界を造られ、全世界、全人類に向かって「わたしが神である」と言われるお方はいったいどのようなお方で、どんな力をもってどんな風にお働きをなさるのでしょうか。旧約聖書の物語には、色々な出来事を通してご自分を現される神様のお姿が記されています。6月12日(日)の礼拝は出エジプト記1.1―2.10から「モーセ誕生の背景」と題してメッセージです。

イスラエルが置かれていた状況

 出エジプト記はイスラエルの民がエジプトから導き出されるというストーリーです。このときイスラエルの民はエジプトの地で苦しんでいました。

エジプトの地で、エジプト人よりもイスラエルの民が増え強くなっていることに危機感を感じたファラオは、イスラエルの民に対して重い労働を課します。さらに男の子の赤ちゃんが生まれないよう助産婦に殺せと命令します。男の子が生まれ育たなければ民族としては滅亡の危機です。しかし助産婦はファラオではなく神様を恐れ、男の子を守ります。ついにファラオは、生まれた男の子はナイル川に投げ込めと命じます。イスラエルの民は危機的状況にありました。

迫害の中で生まれるモーセ

 国として一番危ないときに生まれたのがモーセです。モーセはナイル川に置かれますが、王女に引き上げられ、姉によって実母に育てられ、乳離れしてからはエジプトの王女の子として成長していきます。

「神様」と書かれていなくても

 ここには神様が大きく何をしたとは書かれていません(助産婦に報いるのみ)。むしろファラオの方が大きく書かれていますが、神様は何もしておられないのではありません。イスラエルが重労働で苦しむときも神様は民を守り増やされました。助産婦が命がけで子どもを守った行動にも報い、モーセの命も救われました。そして後のみわざに向かって備えを進めておられます。

神様が分からない、見えないと感じることがあっても、ここでもそうであるように、神様は必ずそこにおられ、目を留めていてくださることを信じて主を仰ぎましょう。そして本当に恐れるべき方、私たちの主は誰かを知り、神様自ら私たちに示しておられるお姿を、お働きを、その力を知って信じることができますように。

6月19日(日)の礼拝は、出エジプト記2.11-25から「神様は見捨てておられない」と題してメッセージです。

聖霊によって進もうではありませんか

2022年6月5日(日)

今日はペンテコステです。約2000年前のこの日、弟子たちは聖霊に満たされ、イエス様の福音を語り、信じる者が起こされ、教会が誕生しました。聖霊の働きはこの時だけでなく、今も続いています。6月5日(日)の礼拝はガラテヤ人への手紙5.16-26から「聖霊によって進もうではありませんか」と題してメッセージです。

肉のわざ

 今日の箇所では御霊によって生きることと御霊でないものによって生きることが対照的に描かれています。御霊ではないものは肉と呼ばれ、性的な、宗教的な様々の罪のリストが記されています。似た表現がコリント人への手紙にもありました。そこでは分裂分派を起こしている人に向かって、パウロは肉の人、ただの人と言っています。このガラテヤ人への手紙もよく見ると、人との関係における罪が一番長くリストアップされています。もし私たちの間に敵意や争い、憤りがあるのなら、それは肉の人だということです。

御霊の実

 パウロはこの肉のわざを望まないのであれば、御霊によって歩むように教えています。御霊には色々な呼び名(働き)があります。御霊が私たちに与えるものは、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」です。この実はそれぞれバラバラではなく御霊の実の色々な面を表しています。そしてこれはあくまでも御霊が実らせる実であるということです。これらはまさにイエス様のご性質で、それはイエスの御霊によって与えられるのです。

御霊によって生きているのなら、御霊によって進もう

 御霊によって生きるとは、イエス様を信じる私たちの内に聖霊が働いておられることを信じることです。自分の感覚ではなく御言葉によって信じるのです。御霊によって進むとは、意識的な行為です。私の思いを御霊に合わせることです。この進むという言葉には軍隊が整列して進む言葉が使われています。御霊と私がピッタリ揃って進むイメージです。これも私の思い、時ではなくて、聖霊に合わせていくのです。聖霊は助け主で、いつでも私たちを助けてくださいます。肉のわざは自分も人をも苦しませます。私たちを苦しみから解放するために、聖霊が与えられました。感謝して聖霊の言葉=御言葉に聴きましょう。

6月12日(日)の礼拝は、出エジプト記1:1-2.10から「モーセ誕生の背景」と題してメッセージです。


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