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神に愛されている者へ

2023年6月25日(日)

新型コロナが第5類に移行したこともあり、教区や教会でもインターネットを併用しての集会を持てるようになってきました。教会で集まることができるのは喜びであると同時に、実はとても大事なことで、パウロはこの中で教会が身に着けるべきことを教えています。6月25日の礼拝は、コロサイ人への手紙3.12-4.1から「神に愛されている者へ」と題してメッセージです。

神に愛されている私たち教会

 私たちが洗礼を受けた時、何か劇的な変化を経験しなかったかもしれませんが、神様から見たら私たちはキリストとともに死に、キリストとともによみがえらされていました。パウロはこれを服にたとえて、古い人を脱ぎ、新しい服を着たのだと語ります。これは私たちが特別だからでも、神様が私たちに何か見返りを求めてのことでもありません。ただただ神様がそれを願われ、そうしてくださったのです。神様に新しい服を着せられるほどに神に選ばれ、神のために神のものとされ、神に愛されているあなたがた教会は、とパウロは呼びかけます。

愛されている教会として着なさい

神様に愛されている私たち教会に向かって、パウロは深い慈愛の心や親切、謙遜など身に着けるべきものを語ります。どの言葉をとっても素晴らしいものですし、そうありたいものですが、実際は…というのが現実のようにも思います。

しかしパウロは無理難題を押し付けているのではありません。キーワードは、「主が…してくださったように」です。ここに書かれているものはすべてイエス様のご性質です。この通りにこの地上を歩まれた方がおられる。その方の御霊が私たちのうちにおられるのです。

教会で何かをしようとすると、意見の不一致があるかもしれません。そのときこそ親切や謙遜が試され、整えられます。13節には「不満」という言葉も出てきますが、いつの時代の教会にも不満はあるものなのでしょう。しかし不満を抱く状況でこそ、イエス様の品性に近づくのです。私たちの心がキリストの平和に、私たちのことばがキリストのことばとなることを何よりも求めたいと思います。

家庭や社会でキリストのように

 パウロはこの新しい服を私たちの実生活の中で実践することを勧めています。主が私にしてくださったように、私も周りの方々に行えますように。

7月2日(日)の礼拝は、出エジプト記17.1-7から「神を試みる」と題してメッセージです。

上にあるものを思いなさい

2023年6月18日(日)

6月の第三日曜日は父の日です。父に感謝を表す日というのは世界中にあるそうですが、この日を父の日とするのはアメリカに起源があります。幼い頃に母親を亡くした女性が教会で母の日があることを知り、自分たち兄弟を男手一つで育ててくれた父親にも感謝する日を作りたいと声を上げたのが始まりです。改めて、守り育ててくれた父親に感謝を表すとともに、私たちを日々支え、必要を満たし、優しく抱きしめていてくださる天の父にも感謝をささげたいと思います。6月18日の礼拝は、コロサイ人への手紙3.1-11から「上にあるものを思いなさい」と題してメッセージです。

キリストとともによみがえらされた!

 パウロもこの手紙の始めで、コロサイの人たちが「御父に感謝をささげることができますように」と祈りました。それはコロサイの人たちがキリストにあって成熟した者となるためです。キリストにあって成熟した者とは、神様が私たちのために何をしてくださったかを知って感謝する人のことです。

私たちがバプテスマを受けたとき、キリストとともに死に、キリストとともによみがえらされました。もはや人の作った教えや掟に死に(影響されず)、上を思う者としてよみがえらされたのです。上というのはキリストです。上を思うためによみがえらされたこのいのちは、イエス様の再臨で現われます。

以前の古い人は脱ぎ捨てて!

私たちが元々歩んでいたのは、欲や怒り、悪の中でした。パウロはこれを服にたとえて、私たちは欲や悪の服を着ていたけれどもそれは脱ぎ捨てたのだと教えます。パウロはこれらを「殺してしまいなさい」「捨てなさい」と強い口調で迫りますが、それほど大事なことなのです。

新しい服を着た!

 神様は私たちに新しい服を着せてくださいました。この服は私たちを真の知識に至らせます。この服は限られた人だけに与えられるのではありません。人種を超えて、すべての人に与えられるものです。

この事実のゆえに上を求めるのです。そこには私たちの罪のために、唾をかけられ、鞭うたれ、ののしられ、釘を刺されたキリストがおられます。私たちはそのイエス様を見ながら、勇気づけられ、忍耐をおぼえて、今週も歩むのです。

6月25日(日)の礼拝は、コロサイ人への手紙3.12-4.1から「神に愛されている者へ」と題してメッセージです。

もう縛られません

2023年6月11日(日)

今日はキリスト教のこよみで「花の日・子どもの日」です。たくさんの花が咲くこの頃に、子どもたちの成長と祝福を祈ります。今日は天授ヶ岡教会でもたくさんの花々に囲まれての礼拝となりました。6月11日の礼拝は、コロサイ人への手紙2.20-23から「もう縛られません」と題してメッセージです。

どうしてまだ縛られるのですか

 律法を守るように教える人たちや自分の体験を誇って、本当にはイエス様に結び付いていない人たちからとやかく言われるようなことがあってはいけないと教えたパウロは、次にコロサイの人たちに向かって「どうしてまだこの世に生きているかのように定めに縛られるのか」と聞いています。この世が当然とする考え方や風潮に対して、まだそんなことを思っているのかと警告します。

私たちはコロサイの人たちではありませんので、コロサイの人たちが持っていたような慣習やユダヤ教の教えが身に沁みついているわけではありません。しかしクリスチャンになりながらなお、縛られなくてもいいことに縛られる、流されるということがあるのです。

知恵あるようで役に立たないもの

それらは人が作ったものに過ぎません。人が作ったものですから、守っても何にもならないし、守らなくてもどうもならないものです。しかしこれらのものが受け入れられるのは、それが知恵のあるもののように見えて、自分が安心するからです。パウロは同じ「礼拝」でも、神様を崇め、神様に聞き、神様に悔い改める礼拝ではなく、自分に関心を持ち、神様よりも人を見て、自分を誇り、人をさばく自分勝手な礼拝は何の価値もないと言います。

キリストとともに死んで離された

 しかし私たちはキリストとともに死に、この世のもろもろの霊、つまり自分を縛るものや自己満足するものからも離されたのです。それらはもう死んだのです。人の言葉に縛られる私も、その苦行に満足する私も死にました。そういったものにもはや支配されていません。私たちがイエス様を信じて受けた救いはそれほど大きなものです。私たちはもう縛られていません。

 …とここまでなら死んでおわりですが、次の3章からはキリストとともによみがえらされた私たちの新しい歩みが始まります。

6月18日(日)の礼拝は、コロサイ人への手紙3.1-11から「上にあるものを思いなさい」と題してメッセージです。

影ではなく本体が大事

2023年6月4日(日)

先週はペンテコステ、聖霊降臨日でした。キリスト教には他にも、クリスマス、イースターと大切な日がありますが、どちらも本来の意味ではない説明がなされていることがあります。私たちクリスチャンは「本当の意味を知ってほしい!」と願いますが、今日お読みしたコロサイ人への手紙でも「本当の意味は別にあるんだよ!」とパウロは訴えています。6月4日の礼拝は、コロサイ人への手紙2.16-17から「影より本体が大事」と題してメッセージです。

影の律法と本体のキリスト

 ペンテコステで誕生した教会ですが、クリスチャンになったのはもともとユダヤ教を信仰していた人たちでした。ユダヤ教では、神の民となるには律法を守ることを教えます。すると、クリスチャンになってもユダヤ教の思想が残っていますので、律法にあることを守るべきか、守らないのか、と言って批判が起こっていたのです。しかしパウロは、律法はイエスさまこそ待望のメシアであることを示すもの、影であり、それらの本体はキリストにあることを教えます。イエス様が来られた今、もう律法は影です。律法は今や守るものではなく、神様の愛とイエス様を指し示すものとなったのです。私たちは律法によって神の民とされるのではないのです。

結びついているのは幻か、かしらか

続いてパウロは自己卑下や御使い礼拝をしている人たちにも断罪されないようにと語ります。自己卑下も、御使い礼拝も、その根底にあるのは、自分が見た幻や体験を誇ることだからです。これらの人たちはかしらであるイエス様にしっかりと結びあっていません。私自身、さまざまな証し集を読み、先人たちの素晴らしい体験を知り、求めたことがあります。しかしいつの間にか、イエス様ご自身を求めるよりも、体験を求めていることに気づかされました。新聖歌の中にも、かつて自分は良いものを求めていたが主を忘れていた、賜物それよりも、癒しそれよりも、与え主こそさらに良いのだという賛美があります。主に結び付くならば教会はつながり神様が成長させてくださいますが、自分の体験に結び付く人は、優越感や劣等感で溝ができます。

私たちが神の民とされたのは神様の驚くべき恵みのゆえです。自分のしたことや体験したことで区別されるのではありません。私たちが仰ぎ求めるべきはイエス様のみなのです。

6月11日(日)の礼拝は、コロサイ人への手紙2.20-23から「もう縛られません」と題してメッセージです。


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