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キリストの形ができるまで

30年ぶりに再会した友人が同窓会の写真を見せてくれました。見てすぐに思い出せる人もあれば、名前を聞いて思い出せる人もいます。その真ん中に担任の先生!私たちの目線になって教えて下さった先生。年を重ねておられますが変わらない。私たちにとっての先生のまま。私たちの大人のモデル。その先生と、大人となった友人たちが共に写っている。感慨深いものがありました。『兄弟たちよ。お願いする。どうか、わたしのようになってほしい。わたしも、あなたがたのようになったのだから』とパウロは、ガラテヤ教会に記します。パウロはガラテヤ教会の先生。クリスチャンのモデル。パウロのようになるとは、どういうことでしょうか?ということで、10月4日(日)の礼拝は、ガラテヤ人への手紙第4章12-20節から、「キリストの形ができるまで」と題してメッセージです。

弱さを受け入れ合う 13-15節

ガラテヤ教会のモデル、パウロ。それは完璧な人を意味しません。自分の弱さを認め、互いの弱さを受け入れる人。パウロが最初にガラテヤに来た時、体調を崩していました。ここから察するに眼の病気だったようです。病気だから福音が伝えられないのではなく、病気でも福音は伝わりました。弱さの中に神の恵みは現れる。ガラテヤの人々はパウロをイエス様であるかのように歓迎しました。彼らはパウロに、どんな環境や状態にも縛られない、自由の福音の権威と恵みを見たのです。自分の弱さを認めないなら自分を偽ることにならないか?相手の弱さを受け入れられないなら相手への傲慢が潜んでいないか?イエス様はどんな弱さを持った人の目線にも合わせられました。その弱さを共に担われました。パウロも弱さを担いつつ、イエス様のようにガラテヤに臨んだのです。『その時のあなたがたの感激(幸せ)は』とあります。弱さを認め、受け入れ合い、福音を信じる。福音を信じ、弱さを認め、受け入れ合う。そこに互いの弱さを越えた感激と幸せがあるのです。

イエス様を中心に考える 16-18節

ガラテヤ教会が誕生し、パウロが新たな宣教旅行に出かけると、ガラテヤ教会は急速に自由の福音を見失いました。パウロを批判の対象、敵扱いするまでになりました。なぜ?ガラテヤ教会が『偽兄弟』『割礼の者』たちに向き始めたからです。律法完璧。いかにも聖人君子。パウロのような弱さは微塵もない。そして彼らはガラテヤ教会に熱心でした。メッチャいい人たち!グイグイ惹きつけられる!私たちもこういうことがないか?パウロもガラテヤ教会に熱心だった。どこが違うのか?誰を伝え、誰を中心としているかです。「あの牧師は間違っている!」「この教会はなっていない!」と言う人が意見の合う人たちと新しい教会を始め、またそのお互いが「あなたは間違っている!」と分裂し、最後はバラバラなんてことはないか?イエス様の教会がその人の教会になっていないか?パウロは、パウロがいなくても『良いことについて』熱心に慕われることは良いことだと記します。『良いこと』とは福音の真理。パウロは、自分や『偽兄弟』『割礼の者』が中心ではなく、イエス様とその福音こそ中心なのだとわきまえていたのです。

キリストの形ができることを望む 19-20節

パウロは『兄弟たちよ』(12節)、『ああ、わたしの幼な子たちよ』(19節)とガラテヤ教会に呼びかけます。『幼な子』とは「性質や精神を受けつぐ者」「具体的な形に表す者」という意味があります。何の性質や精神を受けつぎ、何を具体的な形で表すのか?それがキリスト。イエス様です。パウロは『わたしの幼な子たちよ』と言いながら『キリストの形ができるまで』と記します。パウロがガラテヤ教会を生み出したのは、そして彼にならう(弱さを受け入れ合い、イエス様を中心に考える)のは、キリストの姿に行き着くため。私はいくつもの教会で奉仕してきて思うのは、最初から弱さも問題も隠さないということです。隠していると後々大変。不平や批判ではなく、主の御心がどこにあるか求めつつ、弱さや問題に共に向き合い取り組むことを教えられました。牧師や役員会の意見は大切ですがそれが全てでもない。イエス様は大きく、豊かで、多様なお方。私1人で表せるようなお方じゃない。それぞれの立場賜物視点やアイデアを出し合い、この時この場で何が最善かを紡ぎ出していく教会の営みこそ、キリストの形を造り上げていくのです。

『わたしはあなたがたのことで、途方に暮れている』。檄を飛ばせばいいのか優しくすればいいのかもうわからん!激しい感情と言葉を露わにするパウロもいれば、弱さや困惑を隠さないパウロもいる。トコトン悩み抜くパウロ。誰がここまであなたのことを悩んでくれる?パウロはあきらめない。キリストの形ができるまで。

10月11日(日)の礼拝は、ガラテヤ人への手紙第4章21節-第5章1節から、「私たちは自由の子」と題してメッセージです。


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