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自由の証し〜すべての良いものを分け合う

『間違ってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる』。ドキッとする聖書の言葉。「悪いことをした当然の報い」「自業自得」なんて声が聞こえてきそうです。そしてとどめの一発。「神様の罰や」。自分が悪いのに神様が怖いイメージに。でも見方を変えればガラリと変わる。この言葉は種まきと収穫をイメージしています。種まきは希望。収穫は喜び。まくものは悪いものと限らない。良いものをまけばいい!神様はその営みに報いてくださる。神様が怖いわけでも甘いわけでもない。では良いものをまくとはどういうことか?3月14日(日)の礼拝は、ガラテヤ人への手紙第6章6-10節から、「自由の証し〜すべての良いものを分け合う」と題してメッセージです。

目に見えない霊にまく

『御言を教えてもらう人は、教える人と、すべての良いものを分け合いなさい』。『良いもの』とは「有能」「幸福」「質的に良いもの」、『分け合いなさい』とは「協力しなさい」「助けなさい」。今風に言えば「信徒は、牧師と、全て有能なもの、幸福なもの、質的に良いものをもって、協力しなさい、助けなさい」となるでしょうか。ここから『良いもの』が何か想像しにくいですが、前回の「重荷を負い合う」「自分の荷を負う」とあわせて考えるといいのではないかと思います。あなたの得意分野や能力や賜物です。その良いものを何のために用いるのか?『すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊(御霊)にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取る』。霊にまくため。人の霊にまくとは御言をまくことです。イエス様の種まきのたとえがそうでした。御霊にまくとは御霊と共に働くということです。共に働くことで御霊の実は結ばれるわけですから。私たちは御言をまくために協力し合い、御霊と共に働くなら、豊かな結実と収穫があるのです。一方、肉にまくなら?肉はやがて朽ちるものを意味します。朽ちていくものにいくら投資しても朽ちるだけです。肉はどうでもいいというのではありません。物事には順序がある。私たちは霊を核(コア)にした存在。霊なくして私という存在はない。霊があり続けるなら今の体が朽ちても、新しい復活の体が与えられる。これも収穫。肉も大事。でもまず霊が永遠の命を得るために、御言を伝え、御霊と共に、みんなで協力することが大切なのです。そのためにあなたには何ができるか?なのです。

目に見える行動をもって

『わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる』。『善』とは「美しい」といった見た目の良さも意味します。多くの人の目にとまるということです。目に見えない霊から目に見える肉へ。私たちの得意分野や能力や賜物を用いることで結果が姿を現し、人目に触れるようになるわけです。パウロは『うみ疲れてはならない。たゆまないで』と語りかけます。今はスピードの時代。すぐに結果を求めるし、評価されなかったらすぐに違うことに乗り換えます。たとえ評価されても長続きできるとは限らない。激しく人目を惹きつけパッと消えていくものが増えていないか。しかし種まきと収穫は対照的。時間がかかる。地道にコツコツ労力と忍耐が必要です。でも得るものは私たちを長く保ちます。御言を教えることや協力して伝えることも、地道にコツコツ労力と忍耐が必要。結果もなかなか見えません。でもあきらめるな。私たちを永遠に保つために良いものを分け合う営みを。『だから、機会あるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか』。これは内向きになれといっているのではありません。『行おう』とは「生み出そう」という言葉。物事には順序がある。内から外へ。キリストの体である私たちお互いがまず、良いことを分け合い、善を行うことに慣れる。その中で生み出された良いものを、さらに外に向かって分け合うのです。

「神は細部に宿る」という言葉があります。私はもの作りが好きです。肉に属するものだから興味がない、というわけではありません。逆。私もこの世界も神様の御言で創造され、細部まで作り込まれている。神様の心を知るほど、私たち被造物がどれほど良いものか、感嘆せずにはいられない。でもその心を知らなければ、その良さや美しさはくすみ、傷つき、汚れ、朽ち果ててしまう。私たちはまずその心を知ることから始めるべきではないか。御言によって作られているなら、御言に教えられ、御言を伝えるために協力すべきではないか。うみ疲れず、たゆまないで良いものを分け合いましょう。神様は、永遠の命、新しい復活の体、新しい天と地という大収穫に必ず至らせてくださいます。

3月21日(日)の礼拝は、マルコによる福音書第6章14-30節から、「宣教のハレとケを生きる」と題してメッセージです。


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