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神の家としての新創造

私が小さな頃、粘土遊びでよく家を作り、中まで作り込んでいました。小学生の頃は裏山で基地作り。就職先では夏まつりのお化け屋敷を建てたり、神学生の時は倉庫や寮の物干し用の大屋根を建てたりしました。自分の家や教会堂もセルフビルドできたらいいなぁと夢想します。しかし教会堂が教会ではありません。新しい共同体である私たちが教会です。11月7日(日)の礼拝は、エペソ人への手紙2.20-22から「神の家としての新創造」と題してメッセージです。

土台は聖書とイエス様 2.20

『使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です』。まずは基礎。神の家の基礎は『使徒たちや預言者たち』です。使徒は新約聖書に登場する人たち。預言者は旧約聖書に登場する人たち。いずれも神の言葉を伝える人たち。さらに使徒は旧約聖書の奥義を解き明かす人たち。この「人たち」は過去の人たちです。しかし『使徒たちと預言者たち』は彼らが残した聖書全体をあらわすと言えます。教会の基礎はこの聖書です。次に『要の石』。要の石とは、その石が抜けると基礎全体が崩れるほどのもの。その石に全体の力がかかっている。その石が全体を支えている。それがイエス様です。聖書はイエス様について書かれた書物。イエス様抜きに聖書はありません。このイエス様が土台から始まる教会全体を支えておられます。ですから教会は、時代や地域を越えて、いつでもどこでも基礎である聖書に学び、要の石のイエス様にしっかりつながるのです。

建物は私たち 2.21

『このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります』。次に土台の上の建物。『組み合わされて』とは、建築用語を元にしたパウロの造語だといわれます。石材や木材を削って隙間のないようにピッタリ仕上げる様を言います。『神の家』は新しい共同体です。古い私たちのままでは組み上がりません。イエス様は、私たちお互いの凸凹、ゴリゴリしているところ、とがっているところ、ささくれ立っているところを丁寧に削って、整えて、組み合わせてくださいます。そのことによって『神の家』は成長します。成長する家!家は様々な材料で建てられます。「適材適所」という言葉もあります。神の家である私たちも2人として同じ人はいません。神の家は唯一無二の私たちでできている。そして組み合わされることでますます私らしく、あなたらしく、天授ヶ岡教会らしく成長していき、延いてはイエス様らしく成長していくのです。

居心地の良さは交わり 2.22

『あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです』。『キリストにあって』『御霊によって』。いずれも「中で」という意味があります。「キリストの中で私たちは建て上げられ、御霊の中で神の御住まいになる」。私たちがキリストの中に、御霊の中にいれば、今度は神様が私たちの中にいてくださる。神様の中に私たち。私たちの中に神様。どこまでも一つ。ますます一つ。しっかりした土台の上にしっかりと立てられた家は、私たちに安心をもたらします。その中で家族や親しい人たちとの喜びにあふれた交わりがあれば、なお幸いです。いえ、その喜びあふれた交わりこそ大切。その交わりのあるところこそ、居心地の良い家と言えるのではないでしょうか。私たちにとっても、イエス様にとっても、御霊にとっても、父なる神様にとっても居心地の良い家。それが神の家。『組み合わされて』とは神様と私たち全体の交わりです。神の家は、柔らかく、温かく、豊かに成長していく交わりなのです。

聖書に根ざし、イエス様に身を委ね、互いの交わりを喜び楽しんでまいりましょう。

11月14日(日)の礼拝は、エペソ人への手紙3.1-7から「神の恵みの努め」と題してメッセージです。


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