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闇に打ち勝つ光

メリークリスマス!昨年以来のコロナ禍で、様々な制約はありますが、洗礼を受けて神の家族に加えられる方々や、新しく集い始めた方々があり嬉しい限りです。また「大変」なことはあっても、それが「大きく変われる」機会となったこともたくさんありました。そういったことを振り返りつつ、今年もみなさんとクリスマス礼拝を献げることができることを感謝します。さて、イエス様のお誕生のお話しですが、幼稚園の聖誕劇には登場しないヘロデ王に登場していただきましょう。12月19日(日)のクリスマス礼拝はマタイの福音書2.1-15から、「闇に打ち勝つ光」と題してメッセージです。

闇は圧倒的で強大に見える

ヘロデ王は紀元前34年から紀元4年までユダヤを治めました。ユダヤ人の親戚のイドマヤ人。多才で、ローマ帝国の信頼を得、ユダヤ教にも改宗し、ユダヤ人を奥さんにもし、神殿整備にも力を注ぎました。「ヘロデええやん」と思えますが、そうではありません。全て自分の地位のため。地位を脅かす者は手段を選ばず排除しました。賄賂や暗殺は当たり前。妻子さえ殺害。自分が死ぬ間際も、自分に都合の悪い人を処刑するよう遺言しました。その残忍さはイエス様誕生の時にもよく現れています。東方の博士たちがやって来たとき、彼は直感的に自分の地位を脅かす存在を感じ取ります。どこでその人物が生まれるのか、祭司長や律法学者に聖書的エビデンスを求めます。そして博士たちに『行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから』と伝えました。信心深いから?いえ、ピンポイント攻撃するため。しかし当てが外れ、圧倒的な兵力を投入し、広範囲にわたり、2歳以下の男子を虐殺。2歳以下の男子が、老人ヘロデを脅かす存在か?一体何年先の話か。老いゆく自分の保身のためにたくさんの命を奪い尽くす。未来も真っ暗。闇の力、闇の支配、闇の世界は圧倒的に見えます。私たちを取り巻く世界はどうでしょう?国々の指導者たちはどうでしょう。私たちの身近な社会もどうでしょう。「ブラック○○」「闇○○」なんていう言葉があふれていませんか?では私たちはホワイトでしょうか。祭司や律法学者がイエス様の誕生を知っていながら喜びもせず、ヘロデの前にいたように、闇に乗じた方が楽でしょうか。

光は圧倒的に弱小に見える

対するはイエス様。当時赤ちゃん。丸腰。ヨセフは大工。権力や富、名声や煌びやかさは皆無。圧倒的に小さく弱い存在。しかし東方の博士たちはこのイエス様を『この上もなく喜んだ』。小さな家に入り貧しい家族を前に礼拝までし、高価な黄金・乳香・没薬まで献げた。東方の博士たちは「夢のお告げ」でヘロデのところには寄らず別の道を帰りました。ヨセフも「夢のお告げ」で家族を連れてエジプトへ逃れました。そしてヘロデが死んで、また「夢のお告げ」で、ヨセフ一家はナザレに帰ることができました。圧倒的に小さく弱いイエス様とその家族は、圧倒的に大きく強い闇のただ中にありました。でもそこには命・喜び・礼拝があった。そして神様のみ声があった。ここに出てくる「夢のお告げ」は神様のみ声です。東方の博士たちもヨセフたちもこの神様のみ声に従いました。闇を恐れて尻込みしたり、自暴自棄になったり、闇落ちしたりするのではなく、神様のみ声に聞いて行動したのです。

今私たちは、様々な「大変」に翻弄されています。分断や格差が生み出されています。しかし様々な「大変」イコール「闇」なのでしょうか?様々な「大変」に乗じて、または利用して、疑心暗鬼を生み出し、不安を煽る人の心が闇なのではないか。聖書は語ります。『光が世に来ているのに、自分の行いが悪いために、人々が光よりも闇を愛したことである。悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない』。今回のお話しで言えばヘロデ、祭司、律法学者たち。しかし聖書はこうも語ります。『しかし、真理を行う者は、その行いが神にあってなされたことが明らかになるように、光の方に来る』。今回のお話しで言えば東方の博士たちやヨセフたち。『真理を行う』とは、神様のみ声、今で言えば聖書に聞いて行動することです。『光の方に来る』とはイエス様を私の救い主と信じて従うことです。私たちはこの正しい情報(真理)と光(イエス様)に従う。私たちがどんなに小さく弱く貧しく愚かであっても。そうすれば私たちは光を掲げて立ち続けることができる。『光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たな』いのです。

イエス様は私たちの心にも来てくださいます。クリスマスはまず私の心から。光を広げる営みはまず私の心から始めるのです。

12月26日(日)は年末感謝礼拝。エペソ人への手紙5.3-14から「光の子らしく歩む」と題してメッセージです。


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