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十字架の前の祈り

十字架にかけられる前の晩、イエス様はゲツセマネで祈られました。イエス様にとって最後の夜に何を祈られたのでしょうか。4月10日(日)の礼拝はマルコの福音書14.32-42から「十字架の前の祈り」と題してメッセージです。

深く悩みもだえて祈られるイエス様

 ここに記されているイエス様の姿は、堂々としておられるよりむしろ弱々しく見えます。ペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人の弟子たちを連れて祈るその姿は、深く悩み、もだえ始め、悲しみのあまり死ぬほどのもので、イエス様の苦しみの大きさを物語っています。イエス様だから、神様だから、悲しみや苦しみも簡単に乗り越えられるということはなく、私たちと同じように、いや私たち以上に悲しみや苦しみを味わわれました。

そのときに祈られたのが「できることなら、この時が自分から過ぎ去るように…、アバ、父よ、あなたは何でもおできになります。どうか、この杯をわたしから取り去ってください。」というものでした。

眠っていた弟子たち

 対照的なのは、この時イエス様と同じ場所にいながらぐっすりと寝ていた弟子たちの姿です。この直前には、イエス様が弟子たちに向かって「あなたがたはみな、つまずきます。」と言われたことに対し、ペテロはじめ弟子たちが「たとえ皆がつまずいても、私はつまずきません。」「あなたを知らないなどとは決して申しません。」と答えたことが記されています。しかし実際には、イエス様を否定し、三度知らないと言ってしまいます。自分は大丈夫、決してつまずかないと言ったその強さが弱さになりました。

弱いままで祈る私

 イエス様はご自分の弱さをおぼえていたからこそ祈られました。最後には「しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように」と祈ります。自分の考えではなく、神様にお任せしました。弟子たちは自分が強いと思っていたために、大事なときに祈ることができず、イエス様を知らないと言ってしまいました。弟子たちの弱さは自分の強さにあり、イエス様の強さは弱い祈りにありました。

 この受難週、主の前に弱さを認めてへりくだって祈ることができますように。

4月17日(日)の礼拝は、マルコの福音書16.1-8から「驚きの復活」と題してメッセージです。


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