カテゴリー

私はこう祈っています

2022年5月8日(日)

「祈る」ということ自体は誰にでもあると思いますが、誰に祈るか、何を祈るかはそれぞれ違ってくるのではないでしょうか。今日はパウロの祈りに目を留めます。5月8日(日)の礼拝はピリピ人への手紙1.3-11から「私はこう祈っています」と題してメッセージです。

あなたがたすべてのために祈る

 祈りと言えば自分や自分の家族、自分に関わる人のために祈ることが多いのではないでしょうか。しかしパウロは自分のためでなく、ピリピ教会の人たちを思い、祈ると感謝と喜びがあると言っています。誰かのために祈る、また自分が祈られているということそのものがとてもすごいでことです。私たちの内に働く神様の霊が祈りを導き、祈られている幸いを教えてくれます。

ともに携わってきたことを感謝する

 パウロはピリピ教会の人たちが福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しました。しかし聖書にはピリピ教会の人たちが、パウロの伝道旅行について行ったとか、同じように投獄、福音を弁明し立証したことがあるとは書かれていません。実際は「ともに」行っていないにもかかわらず、パウロが「ともに」と言ったのはピリピ教会がパウロのために祈りとささげものをもってサポートしていたからです。パウロは一人で戦っているのではないことを知っていました。

私たちも普段はそれぞれ場所や状況は違いますが、祈るとき「ともに」立っていることをおぼえます。祈られている、これは私たちにとって大きな励ましであり力です。

大切なことを見分けることができるように祈る

 パウロは「キリストの日に備えて」「神の栄光と誉が現わされ」るために、愛がいよいよ豊かになって大切なことを見分けることができるようにと祈りました。私たちもやがて主の前に立つときを見据えて、本当に大切なことを見分けることができるように神様に求めて行きたいと思います。

5月15日(日)の礼拝は、ピリピ人への手紙1:12-21から「マイナスのことがプラスに」と題してメッセージです。


Copyright © 2010  天授ヶ岡教会 All rights reserved