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私の願いより大事なこと

2022年5月22日(日)

自分が牢に入れられても福音が前進していくことを喜ぶパウロ。パウロにとってキリストが伝えられてくことは何よりも大事なことでした。自分の生死よりも…。実はパウロは世を去って早くキリストのもとに行きたいとさえ思っていました。手紙にはこのときのパウロの葛藤が綴られています。5月22日(日)の礼拝はピリピ人への手紙1.22-26から「私の願いより大事なこと」と題してメッセージです。

パウロの願い

 パウロは「どちらを選んだらよいか、私にはわかりません。私は、その二つのことの間で板ばさみとなっています」と告白しています。パウロが板ばさみとなっていたのは、生きて伝道の働きを続けることと、世を去ってキリストのもとへ行くことです。そして世を去ってキリストのもとへ行く方がはるかに望ましいとまで言っています。これは決して今の境遇からの逃避ではなく、自分と出会い、自分を愛してくれるイエス様のもとへ早く行きたい、早くお会いしたい、イエス様とともにいたいという気持ちです。イエス様への思いをどれほど募らせていたか伺えます。

あなたがたの必要のため

 しかしパウロは自分の願いを選ばず、「あなたがたの必要」を選びます。すなわち、ピリピの教会の人たちの信仰の成長と喜びのためには生きて一緒にいることがもっと必要なことだと考えたのです。そしてきっと主はそのようにしてくださると確信をもっていました。「私の願い」としては世を去ることであるが、「あなたがたの必要」のためには、生きてあなたがたのところに行くことだと語っています。

私の願いよりも大事なこと

 よく読みますとパウロは本当にこの二つのことの間で揺れ動いています。しかし最後にはピリピの教会の人たちの必要を選びます。私たちが日常でこのような葛藤をすることはあまりないかもしれませんが、自分の願いを一つ下げて、目の前の方のための必要を選ぶことができたら幸いです。

主は労苦を無駄になさいません。目の前にいる方の必要のために時間を、物を、自分を用いていくことができますように。

5月29日(日)の礼拝は、ピリピ人への手紙1:27-30から「福音生活」と題してメッセージです。


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