カテゴリー

贈り物の意味

2022年11月20日(日)

今日はピリピ人への最後の部分を読みます。ここにはパウロから、ピリピ教会へのお礼、挨拶、祝福のお祈りが記されています。ピリピ教会はパウロにたびたび贈り物を送っていました。しかしパウロは贈り物そのものではなく、ピリピ教会の心と行為に目を留めています。11月20日(日)の礼拝はピリピ人への手紙4.10-23から「贈り物の意味」と題してメッセージです。

ありとあらゆる境遇を体験したパウロ

 パウロはピリピ教会からの贈り物を喜んでいますが、それは貧しくて困っているからではありません。パウロは貧しくても豊かであったとしても、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ていたからです。パウロの生い立ちを見ると比較的裕福であったようですが、復活のイエス様に出会ってからは文字通り、すべてを手放して宣教旅行に出かけます。今までの当たり前が何もない生活。しかしパウロはそこでイエス様さえいてくだされば大丈夫だと学んだのです。「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」

求めているのは…

 そんなパウロが求めているのは当然贈り物そのものではなく、ピリピ教会の人たちが贈り物をすることによって霊的な口座に加えられていく実です。ピリピ教会の人たちがパウロを想って祈り届けたものはすべて霊的な口座にたくわえられているのです。決してマイナスになることはなく、私たちのしたことがすべて主におぼえられている口座、そこに実が加えられることがパウロの喜びなのです。また主はそんなピリピ教会の必要も満たしてくださると励まします。

カエサルの家からもよろしく

 手紙の終わりには挨拶と祈りが記されていますが、なんとここにカエサルの家が出てきます。ローマはパウロの働きをとどめようと捕らえたかもしれませんが、それがかえって親衛隊の全員に知れ渡ることになり、カエサルの家に属する人までが福音を聞き、挨拶を交わしているのです。主がともにおられること、これにまさるものはありません。

ピリピ教会はこれらのパウロの言葉を受けて、キリストの福音にふさわしい生活へと歩みだしました。イエス様に全身を向ける姿勢を取り続けたいと願います。

11月27日(日)の礼拝は、マタイの福音書1.1-17から「イエス・キリストの系図」と題してメッセージです。


Copyright © 2010  天授ヶ岡教会 All rights reserved