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幼子イエスに起こった出来事

2022年12月18日(日)

東の方の博士たちがイエス様を礼拝した、というあたたかな情景とは一転、その後に記されているのはヘロデ王により幼子イエス様がベツレヘムからエジプト、エジプトからガリラヤのナザレへと向かう重々しい出来事です。そこでは「語られたことが成就」したと聖書は教えます。12月18日(日)の礼拝はマタイの福音書2.13-23から「幼子イエスに起こった出来事」と題してメッセージです。

ヘロデ王による支配のもとで

 マタイの福音書2章で大きな存在感を示しているのがユダヤの王ヘロデです。ヘロデは新しいユダヤの王を追い、捕まえられないことが分かるとベツレヘムにいた2歳以下の男の子を殺害します。ヘロデ王の支配のもとで、ヨセフたち家族はエジプトへ逃れることになり、小さな男の子たちは命を落とします。

今も結局あの人の言う通り、あの人の身勝手さに振り回されていると思うことがあります。また自分自身もすべてを把握し管理したい思いが行き過ぎていないかと問われます。ヘロデの行動は特別のように見えますが、その思いは誰しももつことがあるのです。

本当に支配していたお方

 しかし聖書はその出来事を本当に支配していたお方を伝えます。それが「成就した」という言葉で記されています。これらの引用されたみことばは、イエスさまがイスラエルの歴史をたどることによって真のイスラエルとしてアブラハム契約を果たされたこと。また慰めをも拒むほどの悲しみも神様はご存知でいてくださること。そしてイエス様が人にあざけられるメシアであることを示しています。人が支配しているようで、実はそこにも神様の御手が伸ばされているのです。

起こる出来事の上には

 そうは言ってもヘロデに比べれば神様の御手は静かなように感じます。ヘロデは残虐な行為をしました。しかしどれほどの残虐さをもってしても、神様の守りは常に上回っていました。私たちもどういう道を通らされるとしても、神様の導きの御手はそこにある。そこでこそ「神が共におられる」ということを知ります。自分でコントロールしようとしていませんか。主に委ねていますか。

12月25日(日)の礼拝は、ヨハネの福音書3.16から「神様からのクリスマスプレゼント」と題してメッセージです。


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