カテゴリー

私の助けは主から来る

2023年1月8日(日)

今日は青年祝福礼拝です。この朝開かれた詩篇121篇は都上りの歌と記されていて、エルサレム巡礼の時に歌い交わされたものですが、この詩篇は巡礼の旅だけではなく人生の旅路にも当てはめて歌われるようになりました。人生の旅路を歩む青年たちに「私の助けは主から来る」という御言葉を送ります。1月8日(日)の礼拝は詩篇121.1-8から「私の助けは主から来る」と題してメッセージです。

私の助けはどこから

 「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。」この言葉だけを見ますと、目の前にある途方もない山々を前に、誰が自分を助けてくれるのか…という不安な気持ちを感じます。事実、巡礼の旅は長く危険を伴うものでした。しかしこの言葉はすぐに「私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。」と続きます。神様が確かにここまでの旅路を助けてくださった感謝と信頼がここに込められているのです。

私自身、途中は不安に思うことも、終わってみれば確かに神様はちゃんと助けてくださっていた、もっと神様を信頼すればよかったと思った経験があります。神様は私たちに必要な助けを与えていてくださいます。

神様の守り

 3節以下には神様の守りについて記されています。まず私たちの足をよろけさせないということ。登山において足がよろめくことは場合によっては命に関わる一大事。それは信仰の足も同じことで、よろめかないように私たちはイエス様に祈られ、神様に守られています。さらに神様は眠ることもまどろむこともありません。つまり神様には知らないこと、気づかなかったことはありません。ここで神様はイスラエルを守る方として描かれていますが、イエス様を信じる私たち(イスラエル)にも神様の守りは向けられているのです。

わざわいも

 わざわいから守られると聞くと、何も悪いことが起こらないというイメージがありますが、本当のわざわいとは日常で起こる出来事ではなく、神様を知らないことです。神様は私たちの身に起こることも益としてくださり、このわざわいからも守ってくださいます。神様の守りはいつも私たちの上にあります。

1月15日(日)のホーア師&八重師記念礼拝は、ネヘミヤ記9.1-15から「行くべき道を照らされる神」と題してメッセージです。


Copyright © 2010  天授ヶ岡教会 All rights reserved