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身代わりの犠牲

2023年1月22日(日)

出エジプト記も11章まで来ました。これまで心を頑なにし、イスラエルを去らせようとはしないファラオとエジプトの上には9つのわざわいが降りかかりました。モーセやイスラエルの人たちも今度こそは去らせてくれるのか?いつになったらファラオは首をたてにふるのかと思っていたのではないでしょうか。主はこの11章で、次のわざわいが最後のわざわいになると告げられます。1月22日(日)の礼拝は出エジプト記11.1-10から「身代わりの犠牲」と題してメッセージです。

もう一つのわざわい

 これまでのわざわいで一度は心を変えたかのように見えても、わざわいが去るとまたすぐに心を頑なにするファラオを散々見てきたモーセに、主は「もう一つのわざわいを下す。その後でファラオはイスラエルをエジプトから去らせる。」と語られます。次のわざわいが最後になること、そして自分たちがようやくエジプトから出られることをここでモーセは初めて知らされます。モーセやイスラエルの人たちはいつまで…と思っていることにも神様は終わりを定めておられました。またこれまでの度重なるわざわいは、エジプトの人たちにもイスラエルの神と民を認めさせ、奴隷であるイスラエルの人たちにエジプト人が銀や金の飾りを差し出すようになりました。

長子の死というわざわい

 神様ご自身がエジプトの中に出て行き、おこなわれるわざわいは身分にかかわりなく、人も家畜もすべての長子、初子が死ぬというものでした。そしてこれこそファラオがイスラエルにしてきたことでありました。ファラオは自分の下ことの報いをここで自ら受けることになったのです。ファラオの残忍さ、そして心の頑なさのゆえに、エジプト中の長子、家畜の初子たちは犠牲となったのです。

身代わりの犠牲

 ファラオは自分のしたことの報いとして長子を失うことになりますが、別にもう一人長子が犠牲になりました。神のひとり子イエス・キリストです。イエス様は自分のしたことの報いではなく、私たちの罪の報いを受けてさばきを受けられました。本来私たちが受けるべき報いをイエス様が身代わりとなって引き受けたのです。この大いなる恵みを軽んじることがないようにしましょう。

1月29日(日)の礼拝は、出エジプト記12.1-28から「主の救いを忘れないために」と題してメッセージです。


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