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信仰にとどまる

2023年2月26日(日)

普段どんなことを祈ることが多いでしょうか。パウロはコロサイの教会の人たちが、神様のみこころについての知識に満たされること、主にふさわしく歩むこと、神様の力をもって強くされること、そして父なる神様に感謝をささげ続けられるようにと祈りました。中でも御子によって救われたことを多く取り扱います。御子はこの全世界を造られただけではなく、御子によって新しい創造が始まりました。御子と私との関係とは?2月26日(日)の礼拝はコロサイ人への手紙1.21-23から「信仰にとどまる」と題してメッセージです。

かつて神様から離れていた私たち

 かつては、神様から離れ、敵意を抱き、悪い行いの中に…これはイエス様を信じる前の私たちの姿であり、アダムとエバが神様に反逆して以来の人の姿でもありました。ここには悪い行いだけではなく、敵意、つまりその行動には出ていなくても心に思うことでさえ神様から離れていることを指しています。神様への敵意とは、神様を神様と認めず、自分が神であるかのように、自分を正しく、自分を基準とすることです。この敵意は悪い行いとなり、悪い行いはさらに敵意を強くさせてしまいます。

しかし今は神様と和解した私たち

 しかし今は御子の十字架により神様が私と和解してくださいました。それは私たちが聖なる者として神様の御前に立つためです。神様は私たちが聖なる者として神様の御前に立つことができるように救い、また今も聖なる者にし続けていてくださるのです。

信仰にとどまる私たち

神様が私たちを聖なる者としてくださっている。私たちはただ信仰にとどまるようにとパウロは教えます。私たちが土台を据え、堅く立ち、とどまるべき信仰とはイエス様の福音そのものです。イエス様の福音は私たちに希望をもたらし、希望は忍耐を生み出します。私たちは信仰により、希望が与えられているでしょうか、失望しているでしょうか。恐れていないでしょうか。忍耐が生み出されているでしょうか。自分の信じたいようにではなく、思い込みでもなく、イエス様ご自身を本当に知り信じているでしょうか。そんな私のために今日も神様が私を聖なる者にしてくださっている、その信仰にとどまりたいと思います。

3月5日(日)の礼拝は、出エジプト記12.29-51から「祝福を祈る」と題してメッセージです。


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