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十字架での言

2023年4月2日(日)

今日は棕櫚の聖日で、イエス様がいよいよエルサレムに入られたことを記念する日です。今日から受難週に入ります。イエス様は十字架にかかられ、七つの言葉を残しましたが、そのうちの第一言、第二言、第七言をルカは書き記しています。4月2日(日)の礼拝はルカの福音書23.32-49から「十字架での言」と題してメッセージです。

第一言

 十字架にかかられ、まずイエス様が言われたこと。それは「父よ、彼らをお赦しください」という祈りの言葉でした。イエス様はいつも、十字架におかかりになる前も祈っておられましたが、このときも祈られました。このとき、イエス様の周りにいた「彼ら」とは、イエス様を十字架につけ、着物をくじで分ける人たち、ただ立って眺めている民衆、あざ笑う議員たち、そして嘲る兵士たち。そんな彼らのためにイエス様は祈られたのでした。それはイエス様の近くにいながら、自分のことばかり考えている、自分が何をしているかが分かっていない私たちのための祈りです。

第二言

 イエス様をあざけっていたのは、十字架の下にいた人たちだけではなく、一緒に隣の十字架につけられていた人もでした。しかしもう一人の人はそれをたしなめ、イエス様が御国に入られるときには私を思い出してくださいと言います。一緒に御国に入ると願うこともできない、自分なんかが入れるわけがない、そんな彼にイエス様は「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいる」と約束されました。イエス様は罪人を見捨てられません。彼は十字架にかけられるほどの罪を犯していながら、イエス様は彼をパラダイスに伴われました。

第七言

イエス様の最期の言葉もまた「父よ」という祈りでした。「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」ユダヤ人や議会、ピラトや兵士たちがイエス様を十字架にかけて殺したようで、そうではなくすべてのことを神様が導いておられたことをこの一句は表しています。

自分で何をしているか分からない、自分の罪深さも分からない私たちのためにも、ひとり子をささげ、十字架にかかられた主の愛に感謝します。

4月9日(日)の礼拝は、ルカによる福音書24.1-12から「イエスはよみがえられた」と題してメッセージです。


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