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神を試みる

2023年7月2日(日)

エジプトを出発し、約束の地に向かうイスラエルの人たちは、人生初めての荒野の旅で、水がない、食べ物がないとは言って騒ぎ、モーセを通して神様に身体も信仰も養われていきます。今日のところで再び水がない問題に直面したイスラエルの人たちは、モーセと争い、主を試みた、とあります。これは、のちにマサ、メリバと呼ばれるほど忘れられない出来事となりました。7月2日の礼拝は、出エジプト記17.1-7から「神を試みる」と題してメッセージです。

主を試みる

 荒野で水がない、ということをイスラエルの人たちは初めて経験したのではありません。以前にも経験し、主が水を与えてくださいました。その経験にも関わらず、イスラエルの人たちは水がないことで再びモーセと争います。

確かに水がないということは何十万人とも何百万人ともいわれるイスラエルの人たちと家畜にとって命に関わること。またこの旅は、「主の命によって」、つまり神様がタイミングと方向を決めてなされたものでしたので、イスラエルの人たちの不満も無理はありません。神様が導いているのなら、きっと悪いことは起きないし、良いことで導かれる。しかしこれこそ主を試みることなのです。主が私たちの思う通りに動いてくださるかを試みているのです。

岩からの水

この状況をモーセは神様に叫び、神様は水が出るとは到底思えない岩から水を出してモーセを助け、神様が確かにともにおられることを明らかにします。ここでモーセと争ったこと、主を試みたことは、マサ(争い)、メリバ(試み)と呼ばれ、マサやメリバで行ったように、主を試みてはならないと聖書に記録されることになります。

自分も試されている

 しかし実は試されたのは神様だけではありません。イスラエル自身もまた神様によって試されていました。自分の思い通りにならない中で、それでも神様がともにおられることを信じ、信頼しますか、と。残念ながらイスラエルは「はい」と答えられずモーセと争い、主を試すこととなりました。しかし神様はそんなイスラエルをも憐れみ見離すことはありませんでした。私たちの思いや考えがすべてではありません。へりくだって、いつも感謝して今を生きたいと思います。

7月9日(日)の礼拝は、出エジプト記17.8-16から「ともに戦っている」と題してメッセージです。


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