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ともに戦っている

2023年7月9日(日)

出エジプト記17章の後半にはアマレクとの戦いが記されています。ここを見るとイスラエルの人たちやキリスト教は好戦的なのかと思われるかもしれませんが、ここを私たち対私たちの周りの人と読むのではなく、信仰の戦いを教えているものとして読みたいと思います。主を信じ続けるという信仰の戦いをどう戦えばよいのでしょうか。7月9日の礼拝は、出エジプト記17.8-16から「ともに戦っている」と題してメッセージです。

アマレクと戦うヨシュア

 荒野を旅し、荒野では貴重な水場をもっているイスラエルの人たちを、シナイ半島に住んでいたアマレクの人たちが襲いました。モーセはヨシュアに軍隊を作り、アマレクと戦うように命じます。ヨシュアは後々、モーセのあとイスラエルを率いる指導者となりますが、ずっと奴隷生活を送っていたヨシュアやイスラエルの人たちにとってこれは初めての戦いになります。ヨシュアはモーセに言われた通りアマレクと戦い、アマレクを打ち破ります。

モーセを支えるアロンとフル

しかしこの勝利はヨシュアと軍隊の力によるものではありません。モーセの手が下がっているとき、イスラエルは追い込まれてしまいました。しかし、このときモーセは実際には戦っていませんが、神の杖を持って丘の頂にのぼり、手を上げ続けていました。そしてモーセが手を上げるとイスラエルが優勢になったのです。イスラエルが勝つために、モーセは手を上げ続け、モーセが手を上げ続けられるようアロンとフルはモーセの手を支えました。彼らもともに戦ったのです。私たちも信仰の戦いを戦うために、お互いを支え、支えられる必要があります。モーセが民を支え、アロンとフルにモーセが支えられたように。

モーセの手とともに働く主の手

 そしてモーセの手が上げられていたということは、祈りを意味しているという人もいます。またこれまでのエジプトでのわざわいを振り返ると、モーセの手が伸ばされた時に神様もまるで手を伸ばすかのようにわざわいがくだりました。モーセの手とともに主もともに手をのばし戦っておられたのです。

自分が戦う時があり、兄弟姉妹を支える時があり、支えられる時があります。祈りの手を伸ばすときに主も戦っておられます。皆ともに戦っているのです。

7月16日(日)の礼拝は、出エジプト記18.1-27から「ともに重荷を負う」と題してメッセージです。


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