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奴隷ではなく兄弟

2023年8月20日(日)

コロサイ人への手紙も終わりに近付いてきました。ここにはたくさんの人の名前が出てきます。パウロは決して一人で戦っていたのではなく、パウロが祈っているようにパウロ自身もまたたくさんの人に祈られ支えられてきたことが分かります。8月20日の礼拝は、コロサイ人への手紙4.7-9から「奴隷ではなく兄弟」と題してメッセージです。

兄弟と呼ばれたティキコ

 コロサイ人への手紙は、面識のなかったパウロがコロサイの教会に向けて篤い祈りと願いをもってしたためた手紙です。この大切な手紙をパウロから預かり、コロサイの教会に届けたのがティキコとオネシモでした。ティキコは使徒の働き20章で初めて名前が記され、それからずっとパウロのそばで働きを支えたようです。そんなティキコをパウロは「愛する兄弟、忠実な奉仕者、主にある同労のしもべ」と呼びました。こうした兄弟の存在は決して当たり前ではなく、神様の恵みです。この恵みを軽んじていないでしょうか。感謝しているでしょうか。

励まされるパウロの様子

ティキコは手紙だけでなく、パウロの様子も伝えるために遣わされます。それを聞いてコロサイの人たちが励ましを受けるためです。しかしこのとき、パウロはまだ牢につながれています。どこに励まされるのでしょうか。

普通なら落ち込んで、不貞腐れているかもしれない状況で、パウロはなおキリストの愛に取り囲まれていると主を賛美していました。その姿が励ましなのです。私たちの主にある忍耐や賛美の姿は、人の励ましになるのです!

奴隷から兄弟になったオネシモ

 このティキコに同行したのがオネシモです。オネシモはピレモンの奴隷でありながら逃亡し、パウロと出会ってクリスチャンになりました。パウロはピレモンにオネシモを奴隷としてではなく兄弟として迎え入れるようにお願いします。この姿はイエス・キリストが私たちを受け入れてくださったことと重なります。主はもはや私たちを奴隷ではなく兄弟として受け入れてくださいました。ピレモンもオネシモを赦しました。ここにオネシモの名前があるということは、主イエスにある赦しがなされたことを意味します。

主にあるお互いも「私のもの」でなく、主が与えてくださった恵み、兄弟です。

8月27日(日)の礼拝は、コロサイ人への手紙4.10-18から「祈られている教会」と題してメッセージです。


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