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京都教区合同礼拝「あふれる恵み」

詩篇23.1-6

 京都教区合同礼拝を感謝します。2023年度教団標語は「転換点を迎えて-過去への感謝、現在への確信、未来への指針」です。私たちを取り巻く状況はいつだって転換点の連続です。その中で、私たちにとって大切な「変わらぬこと」を見させていただきましょう。

①平穏なときにも恵み 23.1-3

 ここでは「主と私」の関係を「羊飼いと羊」という関係で表現します。何とも平穏な光景です。羊は羊だけでは生きられない、弱く迷いやすい存在です。羊飼いが羊を導き養い癒します。この羊飼いは主。羊は私たち。羊と私たちは一緒か?今、私たちには便利なスマホがあります。知りたいことは何でも検索できます。欲しいものはすぐ注文できます。道案内もしてくれます。夜道の明かりにもなります。でも様々な情報に振りまわされ、ネットにはまり込み、人生という道に迷っていないか?私たちは平穏なときも、主のゆるぎない導きと適切なケアを必要としているのです。

②危機のときにも恵み 23.4-5

 羊は牧草地を移動します。時に肉食獣が潜む谷も通ります。でも羊が戦うのではありません。羊飼いが戦います。「死の谷」ではなく「死の陰の谷」に過ぎない。危機的状況で「主と私」は「あなたと私」へ変化します。「羊飼いと羊」という関係でもなくなります。より近い関係になる。状況は変わらない。敵はいる。でも主が共におられ、食卓を用意し、香油を注ぎ、杯を満たしてくださいます。何というくつろぎ!何という余裕!私たちにも敵(様々な問題)が立ちはだかり、次々襲ってきます。そしてすぐに自分で何とかしようとします。でも、その問題に立ち向かわれるのは主。私たちに大切なのは、主の用意されたもてなしにまずは浸ること。平穏なときも、そして危機のときこそ、主とより親しい関係を築く好機となるのです。

③とこしえまでも恵み 23.6

 「私」は緑の牧場、みぎわ、死の陰の谷、敵の前を経て主の家に住まいます。「主と私」は「あなたと私」、そして主の家族となります。『恵みが追って来る』とあります。恵みが平穏なときにもあふれ、危機のときこそますますあふれ、どこまでも追いかけ、押し上げ、いよいよ主に近づけ、ついに主の家に住まわせるのです。恵みは「今日の礼拝は恵まれた」と言うような、あったりなかったりするものではありません。私たちが生きる上で絶対に欠かせないものです。自然の恵みも救いの恵みもそうです。私たちが主の家に至るまで、主も主の恵みも様々な形で共にあるのです。

 人生山あり谷あり。問題も次々。転換点の連続です。その中で変わらぬことがある。主が導き、恵みを振るまい、もてなし続けておられることです。では、どんな中でも私たちにできる変わらぬことは何か?私たちの身近な人から、主の恵みを分かち合い、もてなすことです。そこから恵みはあふれ出すのです。以上


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