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神様のもとで変わる

2023年9月10日(日)

出エジプト記と聞いて思い浮かべるのは、ファラオに10の災いがくだったことでしょうか。あるいは目の前には海、後ろにはエジプト軍というところで海が二つに割れて、その中を渡ったことでしょうか。実は出エジプト記のクライマックスはここ、十戒にあります。これまでのすべての出来事はここに向かっていたのです。ここだけを読むと「してはならない」とか「せよ」とか、まさに戒めのようですが、これは私たちを縛るものではなくて、むしろ今までの当たり前から解き放つためのものです。9月10日の礼拝は、出エジプト記20.1-21から「神様のもとで変わる」と題してメッセージです。

わたしは、あなたの神、主である

 この十戒は「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である」ということばから始まります。他の誰でもない、イスラエルを救い、導き出した神様のことばです。神様がこの十戒のことばを語られたのには理由があります。それはイスラエルが「祭司の王国、聖なる国民」として、世界に神様の素晴らしさを表し、世界の祝福を祈るためでした。このために、神様はイスラエルを救い出し、イスラエルの神となって、十戒を語られたのでした。十戒は普遍的な戒めではなく、イスラエルを救い出された神様が世界を祝福しようとされることばです。

神様のもとで、神を愛する

前半には神様との関わり方が描かれています。ここに書かれてある行為の根底にあるのは、神様への不信や、自分の思い通りにしたいという欲求です。しかし、私たちを罪とその滅びから救い出す神がいるのだから、神様に信頼し、神様を愛する生き方へと変わることを教えています。

神様のもとで、人を愛する

 後半には人との関わり方が描かれています。これも根底にあるのは自分の欲望で、そのために人を支配する姿です。ですが、これらのものはエジプトにいた頃は当然でした。神も人も自分のために利用して当たり前。しかしイスラエルが救われたのは、地理的な意味でのエジプトからだけではなく、そうした生き方、考え方からも導き出されたのです。そしてもう二度とエジプト(今までの生き方)に戻ることがないよう、神様のもとで変わることを教えているのです。

9月17日(日)の礼拝は、年長者祝福礼拝。出エジプト記20.18-26から「自分のためか、神様のためか」と題してメッセージです。


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