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教えを確かにする

2023年10月15日(日)

ルカの福音書1章1-4節は序文にあたり、なぜこの福音書が書かれたのか、何がこの福音書に書かれてあるのかが記されています。著者であるルカは、すでに多くの人が書き上げようとしていた事柄を、初めから、綿密に、順序立てて書き上げました。すなわち、イエス・キリストが行い始め、また教え始められたすべての事柄についてです。10月15日の礼拝は、ルカの福音書1.1-4から「教えを確かにする」と題してメッセージです。

苦しみからも離れなかったルカ

 ルカの福音書は他の福音書とは異なり、イエス様の誕生(さらにバプテスマのヨハネの誕生)から始まります。イエス様の弟子ではなかったルカですが、「綿密に」の言葉の通り、イエス様について多くを調べ上げて記しました。そんな著者ルカは、パウロの手紙に数回名前が出てきます。ルカがパウロのそばにいて、パウロをよく支えていたことが伺えます。パウロの晩年、迫害がもっとも激しいときにもルカはパウロのそばから離れることはありませんでした。それはルカが直接見たことはなくてもイエス様の十字架を目の当たりにするかのように受け止め、また迫害の中にあるパウロの祈りと喜々とした姿を見ていたからです。イエス様の華やかさではなく、受難を通して信仰は培われます。主のために、主とともに苦しむ中に私たちの信仰は堅くされます。主の恵みによって。

受けた教えを確かにしよう

ルカはテオフィロが受けた教えが確かであることが分かってほしいとこの福音書を書き記しました。私たちも聞いたこと、信じていること、教えられたことが、本当であるかどうか、聖書にあることなのかどうかを確かにすることは大切です。一つ一つの御言葉がここに書いてあると、こう教えていると、聖書にいつも立ち返って進みたいと思います。

あなたのために、ルカの思い

 ルカは自分が受けた教えを確かにしただけでなく、テオフィロが受けた教えを確かにするよう熱い思いをもって書き上げました。人は自分が聞いただけではすぐに忘れてしまうことが多いのですが、人に教えるときに忘れにくくなります。一人ひとりがいつも教えを確かにすることができますように。一人を導く思いで、誰かのために教えを確かにするお手伝いができますように。

10月22日(日)の礼拝は、ルカの福音書1.5-25から「時が来れば実現する神のことば」と題してメッセージです。


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