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時が来れば実現する神のことば

2023年10月22日(日)

イエス・キリストの誕生に先立って書かれたこのバプテスマのヨハネの誕生には、時が来れば実現に至らせることのできる神様のご介入がありました。それは「むかーしむかし、あるところに…」という不確かな話ではなく、はっきりと「ユダヤ王ヘロデの時代に、アビヤの組の者でザカリヤという名の祭司」に起こった出来事でした。10月22日の礼拝は、ルカの福音書1.5-25から「時が来れば実現する神のことば」と題してメッセージです。

神様はいつもの中で語りかけられる

 ザカリヤは妻エリサベツとともに敬虔な生活を送るも、子どもが与えられませんでした。何度も祈ったことでしょうが、それももう望み得ない年になり、祭司としての務めを全うすることだけを考えていたのではないでしょうか。

そんなザカリヤがいつものように祭司としての務めをしているときに、神様は語られます。「恐れることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられた。」と。ザカリヤのいつもの日常が変わります。

特別な時だけでなく、いつもの礼拝、いつもの日常で神様は語りかけています。

神様は願いを覚えておられる

確かにザカリヤは敬虔な祭司ではありましたが、当時の社会的に見れば高齢で子どもがいないというのはとても恥ずかしく肩身の狭いことでした。しかし神様が願いを聞き入れられたのは、人からも自分でももう何の可能性もない、と思っているザカリヤです。神様の目はザカリヤに向けられました。やがてザカリヤが授かるヨハネは預言にもある偉大な人物となりますが、そのヨハネが仕える救い主がお生まれになるという壮大なご計画へとつながっていきます。

神様は私たちの祈りを忘れておられないだけではなく、ご自分のご計画のために最善の時に答えてくださいます。祈りは失望で終わりません。

神のことばの実現を待ち望む

 ザカリヤは高齢ゆえに信じられず口が聞けなくなりますが、ずっと信じずにいたわけではありません。家に帰ってエリサベツに伝え、二人は信仰を働かせて応答し、エリサベツは妊娠します。やがてヨハネが生まれたときに、ザカリヤがまず発した言葉は「ほむべきかな、イスラエルの神、主」でした。

 信じられない、信じたくない神様のことばにどう向き合っているでしょうか。

10月29日(日)の礼拝は、ルカの福音書1.26-38から「おとこばどおりに」と題してメッセージです。


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