カテゴリー

自由の身となるよりも

2023年11月5日(日)

聖書の教える神様は、決して遠く離れて見守っているのではなく、私たちの生活のただ中におられることを教えています。たとえば今日の聖書の箇所では奴隷について書かれており、現代の日本に生きる私たちにはあまり関係がないように見えますが、当時のイスラエルの民にとっては身近な事柄でありました。11月5日の礼拝は、出エジプト記21.1-11から「自由の身となるよりも」と題してメッセージです。

七年目に自由となる奴隷

 神様によってエジプトでの長い奴隷生活から導き出され、神様の宝として生きるイスラエルの民が守るべき定めとして、神様は奴隷について取り上げます。普通、こうした奴隷の定めは主人が奴隷を扱いやすくするのが常ですが、神様の目は主人ではなく奴隷に向けられます。奴隷が当たり前の社会にあって、なくす非現実的なことよりも奴隷の生活や命がどうしたら守られるかを教えています。

へブル人の男奴隷を買う場合、六年間は働きますが七年目には自由となります。イスラエルの民がエジプトで長い間奴隷だったことを思えば考えられないことです。また基本的には奴隷は「来た状態で」去りますが、主人によって妻子が与えられたときは主人のもとで妻子とともに留まることができます。奴隷でも自由となることができ、主人のもとで家庭をもつ選択ができました。

三つのことが減らされない奴隷

次に女奴隷について、主人は女奴隷を妻として保護するか、気に入らなくてもまた新しい主人のもとで保護されるよう配慮することが定められています。息子の嫁とするならば娘のように、別の女性を妻とする場合でも、食べ物、衣服、夫婦の務めの三つを減らしてはいけませんでした。女性の生活を保護し、母親となることを妨げることがないようにするためです。

きっと誰もが奴隷になりたくてなったわけではなく、様々な事情のもとで奴隷となったのでしょうが、七年目には自由になり、再スタートする道が備えられ、奴隷の間も生活や命が脅かされることのないよう定められたものでした。

 私たちは今や神のしもべとして神様の保護のもと、さまざまな恵みをいただいています。この主人のもとを去ることなく、私の耳を主につけて、主に聞き従うことができますように。

11月12日(日)の礼拝は、出エジプト記21.12-36から「良い関係を築くために」と題してメッセージです。


Copyright © 2010  天授ヶ岡教会 All rights reserved