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神がわたしに目を留める

2023年12月3日(日)

今日は待降節第一週の礼拝です。英語ではアドベントですが、そこから派生した言葉にアドベンチャーがあります。予期せぬ出来事や冒険という意味です。今読んでいるエリサベツとマリアはまさに約二千年前、予期せぬ出来事に直面した人たちです。予期せぬ御使いとの出会い、予期せぬお告げにひどく戸惑い、考え込んでマリアですが、今日のところではエリサベツに幸いな人と呼ばれ、自分自身も幸いな者と言っています。それはなぜでしょう。12月3日の礼拝は、ルカの福音書1.38-56から「神が私に目を留める」と題してメッセージです。

語られたことが実現するから

 エリサベツは突然のマリアの訪問を喜び、聖霊に満たされてマリアを「私の主の母」と呼びます。そしてまだお腹の大きくなっていないマリアに向かって「信じている人は幸いです。神様が語られたことは必ず実現するからです」と言いました。エリサベツは自分の理解や見ていることを越えた神様のわざをマリアに見ました。マリアは語られたことが実現すると信じていると分かったのです。

神様は日々に、聖書を通し、人の言葉を通し、私たちに語りかけてくださっています。神様は必ず実現する言葉として私たちに語っていてくださるのです。

目を留めてくださったから

それを受けてマリアは主に賛美をささげます。それはこんな卑しいはしためにも神様が目を留めてくださったからです。私たちが買い物に行ってやはり目を留めるものがあります。神様は私たちをまるで他の人などいないかのように私を、あなたを見つめます。神様の目は私に、あなたに注がれます。どこにでもいそうな平凡な女の子であるマリアに神様は目を留め、大きなことをしてくださった、だから幸せだと賛美するのです。

マリアは自分の小ささを知っていました。同時にそれは神様がどれほど偉大なお方であるかを知ったのです。神様はご自身の偉大さを私たちに教え、私たちは自分が小さい者にしか過ぎないことを知っていくのです。

主はいつまでもあわれみを忘れておられない

マリアはこの出来事を自分のことだけだと思わず、アブラハムとその子孫に対するあわれみだと受け取りました。この世界大のわざのために神様は私たちに目を留められました。へりくだるアドベントとなりますように。

12月10日(日)の礼拝は、ルカの福音書1.57-66から「静かな目撃者」と題してメッセージです。


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