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聖霊と火のバプテスマ

2024年2月18日(日)

「皇帝ティベリウスの治世の第十五年、…」イエス様がお生まれになってからおよそ30年が経った頃、「神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに臨」み、いよいよイエス様のお働きが進んでいきます。2月18日の礼拝は、ルカの福音書3.1-20から「聖霊と火のバプテスマ」と題してメッセージです。

主の道を用意する

 神様のことばを受けたザカリヤの子ヨハネは、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えます。これはイザヤ書に、主の道を用意せよと荒野で叫ぶ者の声がする、とある通りでした。主の道を用意するとは、実際の道路の話ではなく、救い主を迎えようとする私たちの心について語っています。救い主が来られる。しかし私たちの心は神様よりも自分に向けられています。自分のことは棚にあげて人のことをあれこれ言ってしまうこと、優しくなれないこと、人の言葉を恐れ、傷つき、ゆるせないこと、神様への信頼よりも不安や不満が多いこと。その心はまさに荒野のようで、まっすぐではないのです。ヨハネはそのことに気づかせ、認めることを迫りました。私たちの心はどうでしょうか。

悔い改めにふさわしい実を結ぶ

しかしそれは「あなたはダメだ」とさばくためではありません。そういう者にこそ神様の救いがあるのです。けれども当時は心からではなく、形式的な悔い改めのパフォーマンスとしてバプテスマを受ける人もいました。ヨハネは本当に神様に心を向けているのなら、悔い改めにふさわしい実を結ぶよう教えます。私たちは今、神様に出会い、神様に愛され、神様とともに歩む者として、どのような実を結んでいるでしょうか。

キリストを示す

こうしたヨハネのメッセージに人々はこの人こそメシアかと考えますが、ヨハネは自分がメシアの履き物のひもを解く資格もなく、メシアとは水ではなく聖霊と火のバプテスマを授け、麦と殻を分ける裁き主であることを教えます。そして使徒の働きにおいて、イエス様は聖霊と火のバプテスマを授けられました。今に至るまで聖霊に浸された人々によって主の働きは前進しています。

受難節、神様に心を向ける悔い改めをささげることができますように、午後の教会総会に聖霊の導きを求め、イエス様を指し示す教会でありますように。

2月25日(日)の礼拝は、ルカの福音書3.21-38から「あなたはわたしの愛する子」と題してメッセージです。


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