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祭壇を作る

2024年3月10日(日)

神様を礼拝するために、今は教会の玄関を通るだけですが、モーセの時代には通らなければならないところ、しなければならないことがありました。今日も幕屋を通して神様に近づくことのできる恵みをおぼえたいと思います。3月10日の礼拝は、出エジプト記27.1-21から「祭壇を作る」と題してメッセージです。

神様により高価なものをささげる

 「神様が人のただ中に住まれる。」このことは、創世記から黙示録まで貫かれている壮大なメッセージであり、神様の恵みです。神様がイスラエルのただ中に住むための幕屋が、25章から神様のことばが記されたあかしの箱に始まり、さまざまな備品や設計が語られてきました。27章では、祭壇、幕屋の庭の大きさが描かれ、ともしびのために上質のオリーブ油を使うように命じられています。より至聖所に近い方は高価なものを使用するよう命じられ、イスラエルを救う神様の素晴らしさ、きよさを表しています。

祭壇を通る

25章からこれまで、至聖所から段々と外側に向かうように作り方が教えられました。それは至聖所こそ神様が人と会い、語られるところ、幕屋の中心だからです。しかし、実際に人が入っていくとき目にするものはその逆です。つまり、門から入ると祭壇があり、そして一番奥に至聖所があるのです。祭壇を通ることなしに、幕屋に近づくことはできないようになっているのです。

いけにえを携える

詳しくはレビ記にありますが、祭壇ではいけにえの動物をささげます。傷のない動物に手をおき、その動物がささげられ燃やされることによって、その人の罪が赦されたことを意味します。それを毎度毎度しなければなりません。現代の私たちからすると残酷なように思えますが、神様を礼拝するためにはこれほどのことをしなければならないほど、神様はきよく、私たちは罪深い者であり、神様から遠く離れて生きていることを教えているのです。

神様が与えてくださった恵みは、このいけにえとしてイエス様が傷のない神の小羊としてささげられたということです。今や私たちは何の儀式もなく、自分の血を流すこともなく、神様の御前で礼拝をささげる幸いを得ているのです。

3月17日(日)の礼拝は、出エジプト記28.1-43から「息子たちの名を担う祭司」と題してメッセージです。


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